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Описание


| 出品物 |
ご覧頂きありがとうございます。今回出品する品は写真の打刀拵えです。 徳川家のお抱え金工師である「越前記内」の献上拵えです。徳川家や大名などに献上する際は、 銘を入れず作られました。特に徳川家のお抱えであった越前記内は、徳川家の注文の場合は銘 を入れる時も裏に銘を入れました。 記内鍔の中でも葵葉透かしの金象嵌入りは特に上作とされ、徳川家の注文や献上用に作られました。 見事な鉄地透かしの葵紋です。切羽も豪華な銀着せ切羽が2枚付いています。 柄巻きも高級仕様で正絹巻きの摘み巻きで綺麗な親鮫が使用されています。目貫は赤銅天龍です。 縁頭が、これまた見事な赤銅海波高彫で金銀象嵌です。まさに、「大森英秀」の波濤図で、浪頭を 鋤下彫りで立体的にみせる大森浪とよばれる独特の彫り(波涛図)で、出来の素晴らし縁頭です。 こちらも献上用ですので、銘は入っていませんが、出来の素晴らしさは一目瞭然です。 二尺四寸以上はいる拵えですので、飾り映えしますし、高級鞘だと思います。 刀身は無く、ツナギが入っていますので、登録証は不要ですのでご安心ください。飾り映えする 拵えです。 江戸時代の時代物ですので、コレクションにいいと思います。 鍔・縦直径約7.3センチ 鞘長約79.0センチ 柄長約24.5センチ 全長約104.0センチ 大森英秀・江戸後期・幕末の金工師 享保15年(1730)江戸の生まれで、大森英昌の甥。 江戸時代中期~後期に活躍した刀装具の金工細工師。 通称は喜惣次、名を英秀、号は一濤斎、竜雨斎。 江戸で活躍した町彫りの彫金師で、大森派の二代目。 英秀の長男は大森派三代・大森秀永。 横谷宗珉の門人・大森英昌に師事し、のち養子となりその後家督を相続し、大森派をついだ。 浪頭を鋤下彫りで立体的にみせる大森浪とよばれる独特の彫り(波涛図)や、金梨子地象眼細工 などの彫法を考案した。 寛政10年(1798)4月死去、69歳。 師である横谷宗珉(よこや そうみん)とは、刀装具の金工細工師で、江戸幕府彫物御用の後藤家 の下職から出発し、のち、役を辞し、自由な題材、材質、構図などをとり入れ、町彫りを創始した 人物。 片切り彫りの彫法を大成し、絵画風の自由な意匠を表現し、当時の彫金界に一世を風靡した。 作品は小柄、笄、目貫、縁頭と多岐にわたり、赤銅の魚々子地に肉高の高彫色絵のほか、四分一地 に片切彫があり、図柄は虎、獅子、獅子牡丹、一輪牡丹などが多い。 門下は、大森英昌のほかに、古川元珍、柳川直政などがいる 越前記内・江戸時代初期ー幕末 越前国福井は松平家三十万石の中心地で、記内派・明珍派・赤尾派の家系がいずれも幕末まで繁栄し たが、そのなかでも特に記内派の名が世に知られている。 記内一派は非常に繁栄し、彼らが作る鍔は「記内彫り」あるいは「越前彫り」と呼ばれ珍重された。 秋草や菊などの草木類など、いろいろなものを題材に採り上げているが、人物や風景のものは少ない。 越前の鐔工、記内の鍔の中でも最も有名な意匠の一つ、葵図。 葵といえば徳川家が思いだされますが、越前は徳川家康の次男、結城信康が後半生を過ごした土地で あり、その信康がお抱え鍛冶としていた(後の)越前康継は、家康などに召されて江戸で鍛刀をし、 大坂二条城の落城後は名刀の写しや再刃を多く手掛けるなど、越前と葵のつながりは実は深いものが あります。 越前康継と同様に、徳川家が認めた名工です。 あとは写真と画像を見て判断してください。質問はわかる範囲でお答えしますので、入札前にお願い いたします。 発送はゆうパックの着払いです。 |